はるか昔、私にも成人式がありました。
それはかなり苦い思い出を伴います。
馬鹿な私は、成人式には行ったけど、
式典会場にはいず、外に友人といました。
夜になると、何十人かで同窓会みたいな飲み会があり、
盛り上がりました。
そこで終わればよかったが、
2次会、3次会と何人かで車で鹿屋に走りました。
なぜか私が運転していました。
完全に飲酒運転でした。
何件も回っていて、かなり酔っていた。
結果、事故を起こしました。
あれだけ派手な事故を起こしながら、
幸いにも人身にならなかった。
死亡事故になっても不思議でないくらい、
無茶な運転の、車同士の事故でした。
5人乗った私の車は、一回転して確か銀行の壁にぶつかりました。
さらにおまけの幸いに、警察は成人式と言うことで
飲酒運転で処理をせず、見逃してくれた。
ある意味平和な時代、逆を言えばいいかげんな時代でした。
散々親に迷惑をかけながら、数日後に処理を親に任せ、
逃げるように、東京に舞い戻りました。
今思えば本当にぞっとすることばかりです。
新成人の人は、今は絶対やってはだめですよ。
無茶で馬鹿な私は、たまたまかなりの強運に恵まれただけです。
今はこの世にいなかったかもしれません。
翌年の正月の帰省は、
いろんな反省とだめな自分の根性試しに、
東京から鹿児島まで、内緒の真冬の自転車帰省を果たしました。
正月の箱根駅伝を見ると、真冬のみぞれのふる真っ暗な山道を
意識朦朧としながら、自転車をこいだのがよみがえります。
あのときも死んでてもおかしくなかった。
柏原がゴールを切ったあの辺で、
ふらふら自転車を押してたところに、あわてて旅館の女将さんに
真冬の箱根に野宿したら死ぬよと言われ、
無理に中に入れられた。
命が救われたと思う。
前の晩、急に思いついてペダルをこぎ出し、
約20時間くらい不眠不休で踏み続けた後の、
命をつないだ箱根への無鉄砲のゴールでした。
その翌日、女将さんに鹿児島までとんでもないと
言われたが、鹿児島を目指してそれ以降、
野宿だけで、たしか10日くらいで鹿児島の大崎に無事
帰り着いた。この記録は破れないと思う。
この時、初めて弱い私に、誰にも負けない根性と自信がついた。
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